10年前の私に贈る言葉
「10年ほど前」
一年の間に家族が二人亡くなる。その直前には自分自身は手術して退院、直後に親の病気を聞く、そして入院。その直後に転勤、ほぼ同時期に兄弟が亡くなり、一年後には闘病中の親も亡くなる。
転勤と同時に仕事も大きく変わる。そして職場の環境も大きく変わる。それまで無理をし続けてきた体がついにねを上げたのか。体調の激変に襲われる。
とにかく、疲れが取れない。さらにひどいのが、簡単な事柄を覚える事ができないこと。今聞いた事を覚える事ができない。このため、とにかくメモしておく。それも付箋紙に書いてバソコンとか机に張る。それがあまりに多くて整理できない。
突然、そんな事にあいなったので自分自身が混乱するばかり。
仕事の関係で大勢の人の前で挨拶とかしないといかん(の)に、もともと人前で話すのが苦手やけんど、若い頃から苦労していく中で 少しずつ話ができるようになっちょったけんど。
またまた、あがり症がでたみたいで、極度の緊張。発言用のメモを手に持っていて 急激な視力の低下(遠視かな)でメモの字が小さいと全然読めない。
夜は どんどん症状が悪化する親の見舞いで 週に何度も片道150km以上はしって直ぐにまた帰ることの繰り返し。
仕事の効率がものすごく悪く、頼まれた仕事が全然はかどらない、当然済まそうとして遅く迄仕事するも どうしようもないがよ。疲れが取れんきに持病の腰痛が再発。夜、足をひきずりながら 真っ暗な夜道を帰る。
コンビニで買ったおかずでご飯を食べる。そして、死んだように眠る。
街灯も無い夜道を腰の痛みのため ずずっすずっと足をひきすりながら下を向いて歩く姿は 今思うと死神にとりつかれちょったのかもしれん。あるとき、友人が死相がでちゅうでって 私にいうたがよ。
毎日毎日もがき回っちょった。泥沼の底にどんどん落ちていく自分がいて、もがけばもがく程見えない闇の中におちていきよったがよ。
チームのリーダーではあったけんど、チームの目標を成し遂げるためにみんなのサポートをして仕事のしやすい環境をつくるのが私の役目だったけんど・・。もっとがんばってくださいと部下には泣かれる始末で。もう頑張りようが無い程の状態で、どうしようもない状態の中でもがいている毎日やった。
俺が悪いから、努力が足りんからこんなことになるがやと、毎日自分を責めていました。みんなには 謝るばかりやったー。そんなぼろぼろのなかでも 笑顔をわすれんようにと こころがけてはおりまいた。
生まれてこのかた、何度も地獄のような生活を送ってきたがよ。おさないころから中学時代迄と、その後の五年くらい。そして、十年くらい前のころ。
十年前のあのころ。更年期とか、鬱とか 言葉も知らなかったし、そんな事で相談するとかさえもしらなかった。
それまでの地獄の日々がなかったら、耐えれんかったかもしれない。すでにこわれちょったかもしれん。そんな事が考えられない程。
「おまさんに伝えたいこと」
いまは 何も見えんかもしれんけんど、いつかは 光が見えるようになるきに、安心しーよー。そして、しんどいながらでも 人をまわりを祖末にせんとやり抜く事ぜよ。そうしたらいつかは もっとようなるきにね。
しんどい時に本当のこと、生きる事・心の事・人の本性、いろんなものが見えてくるようになるきにね。
助けてくれる人がおったら その人を大切にせんとね。そして その恩はわすれんことじゃ。命をかけても大切にせんといかんぜよ。
今迄は 人のためだけに自分を殺してでもいきてきよったろうけんど、もう 自分のためにも いきてみたらどうぞね。周りのために生きても それも人生やけんど。もうえいがやないかねー。後の人生は自分のために いきてもみたらどうじゃろうか。自分を殺す事で命からがら生きてきたがやろうけんど。今度は自分のためにもいきてみーやー。そしたら こころがかるうなるぜよ。
もっともっと 身軽に心の束縛から解放されて もっともっと笑顔でくらせるかもでー。それがえいかどうかは わからんけんど。自分の人生やきに そういうときもあってもえいがやないかえー。
そうしたらもっと 人のこころが みえやすうにもなるかもね。
男も女もない 人として 心でいきるとはなんぞやというのが みえるかもしれんぞね。第二の人生がはじまるかもしれんねー。そういうことも楽しみにして、まーしんどいろうけんどそこをのりこえるがぜよ。それをこえたら体調も落ち着くつくし、支えてくれる人たちも増えるろうきねー。
おまさんが バーョンアップをするが(するため)に必要なしんどいところじゃったかもしれんねー。死んだら それができんきにねー。ぼろぼろになってでも いきちゅうということが大切な事じゃて。げに まっことぜよ。